【タイ】タイ進出を目指す企業が知っておきたい混迷のタイ近代史

【タイ】タイ進出を目指す企業が知っておきたい混迷のタイ近代史
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ASEAN進出の候補地として高い人気の国といえばタイですね。親日国であり、世界の中でも日本人の数が7万2千人を超える4位です。このため、日本人向けの飲食店やサービスが多く、東南アジアでも日本人にとってはとても暮らしやすい国のひとつです。でも現在タイは軍事政権の状態であり、ここ10年の間に暴動事件やデモ、そして戒厳令の発動など政治が混乱しています。タイ進出を目指す企業にとってこのようなタイの情勢は懸念材料といえるでしょう。それで一度タイで起業する前に、ここ数年のタイの近代について振り返ってみたいと思います。

政治混乱の始まり〜タクシン氏の台頭

1997年7月のアジア通貨危機によってタイは経済危機に陥りました。失業率の上昇、倒産などが起こり、特に農村部からは不満が噴出。そこに現れたのが携帯電話の会社などの運営で成功した実業家のタクシン元首相です。2001年の選挙に勝利してから、タイの人口の大部分を占める農民への優遇制度を行っていきます。借金の返済を遅らせたり、基金を配ったり、30バーツ診療などのいわゆるばら撒きで農民の支持を広げていきました。

しかしその恩恵にありつけなかった都心部の中間層から反タクシン運動が起こります。そしてこの対立構造を色で象徴するグループが生まれました。

赤シャツ派…タクシン派(反独裁民主戦線)貧困層や農村部の支持層で、団結を意味する赤いシャツを着用

黄シャツ隊…反タクシン派(民主市民連合)王室擁護を主張する南部の中間層で、王室を象徴する黃シャツを着用

その後タクシン氏は、節税工作の批判によって退陣するものの、次期首相が決まるまでの間政治代行することとなったチッチャイ・ワンナサティット副首相の裏で政治を行いました。これが国民の反発を招くことになり、2006年の軍事クーデターへと繋がります。このクーデターによりタクシン氏はタイを出て亡命生活に入ります。

「暗黒の土曜日」衝撃の赤シャツ派暴動

2010年4月10日の土曜日にバンコクで発生した武力弾圧事件で、同年4月7日に、司法クーデターによってタクシン派政党である国民の力党が解体させられ、無選挙によって発足した反タクシン派のアピシット政権に対する抗議活動が起こり、赤シャツ派がバンコクのシーロムやサイアムエリアに近いルンピニ公園を中心に占拠を行いました。

これを受けてアピシット首相は非常事態宣言を発令。4万7000人以上のタイ王国軍を投入し、鎮圧にあたります。

4月10日、ステープ副首相はデモの強制排除命令を出し、デモ隊の武力による排除を開始します。ゴム弾や催涙ガスによる弾圧に赤シャツ派は激しく抵抗。セントラルワールドのZENに放火するなどバンコクは大混乱の状態となります。そしてこの事件でロイター通信のカメラマンだった村本博之さんが銃で撃たれ死亡するという痛ましい事件が起こり、日本のニュースで大きく取り上げられました。この事件以来アピシット政権の信頼は失墜し、翌年解散することとなります。

この年の11月に私はバンコクに旅行で来ているんですが、ZENがまだ復旧工事中で上記の写真はその時のものです。

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2013年タイ反政府デモ

反タクシン元首相派によるタクシン派インラック・シナワトラ首相の辞任を要求した反政府デモ。実はこのデモ、抑制されていますが終わっておらず続いています。この頃私はすでにバンコクに住んでおり、デモを目の当たりにしました。

2013年11月から始まったこのデモですが、当時の首相は前述のタクシン氏の妹であるインラック首相でした。美人首相ということで話題になりましたね。事の発端はこのインラック首相が政治抗争による訴追や投獄された人を恩赦する恩赦法案を可決させていたことで、これは亡命している兄である元タクシン氏をタイに呼び戻すことができることを意味します。これに野党である反タクシン元首相派である民主党が反発。法案は廃案となりましたが、デモは続いていきます。民主党のステープ元副首相は民主党支持者によるデモで逮捕される可能性が出たため、デモのどさくさに紛れてインラック首相の退陣を主張し、街頭での「民衆のクーデター」が始まりました。そしてバンコクの各地でデモグループによる占拠が行われます。

当時私の通っていた会社のあったアソークでも封鎖と居座り集団が。また、露天を出してタイグッズなどを売る人も多くいました。

今考えると信じられませんが、終いにはセントラルワールドで音楽ライブのイベントまで行われました。

占拠区域も拡大し、2014年に入るとデモはエスカレートしていき、1月にバンコク封鎖が起こりスワンナプーム空港にも占拠がはじまります。政府はデモ隊への話し合いステープ元副首相に申し入れましたがこれを拒否。そしてインラック首相は憲法違反によって失職しました。

あの時期の感想として、なんというか街には政治的な緊迫感はほとんど無く、これはタイに長く居る人はわかると思いますが、またか、といった感じでしたね。

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そしてついに2014年タイ軍事クーデター(19回目)

反タクシン派の望み通りインラック首相の退陣とはなりましたが、デモは収束しません。長引く混乱は観光大国であるタイにダメージを与え、経済成長も鈍化していきます。

そしてついに2014年5月20日午前3時、タイ王国陸軍が全土に戒厳令を発令。そして5月22日の17時にプラユット総司令官よりクーデター宣言が行われました。

この日私は会社に出勤しておりましたが、仕事どころではなくなったので退社。MRT地下鉄やBTSは大混雑でした。まさか海外で戒厳令やクーデターを体験することになるとは。。。

クーデター後は軍のプラユット総司令官が首相となり、軍事政権が発足することとなりました。

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軍事政権下の現在

今まだタイはプラユット首相による軍事政権下にあります。軍事政権というと対国際社会的には非常に印象が悪いのですが、住んでいる人間としてはデモもなく落ち着いたものです。以前は何かあるとすぐに赤シャツだの黃シャツだの衝突でうんざりでしたが、軍は武力を持っており容赦がないのでみなさん怖いらしく、デモもすっかり鳴りを潜めています。

2019年3月の総選挙で、タクシン元首相派のタイ貢献党が136議席で最多議席を獲得するも過半数には至らず。いずれにしてもプラユット首相続投の方向のようです。

バンコクでの近代をふりかえって

タイ進出を考える日系企業にとって、市場はもちろんですが、実際に住んでみて治安や政治情勢はどうかというのはとても重要な部分かと思います。今回文章で書いていて、デモや暴動など実際人が死んでおりますし、日本からニュースなどで見ると戦争でも起こっているかのように映ったかもしれませんが、タイ在住者にとっては割と普通に日常の時間が流れておりました。これは何度もクーデターを繰り返してきたことや、タイの気質的なものかもしれませんね。現在はここ10年の中で最も安定した時期になっているといえるでしょう。

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